愛。愛とは何でしょう。
愛してると言われること。メールなどの返信があること。返信が早いこと?
恋人であること。付き合っていること。大切に扱ってくれること。
安心感があること。特別であること。常に一番であること。
わたしは ずっと そのようなことが愛だと思って生きてきました。
そのひとつでも叶っていないと感じると、とたんに苦しくなって死にたくなります。
そんな日々が続いていました。
小学生の頃、叶わぬ恋が苦しくて心に恋心を吸い込む宝箱を創りました。
その箱を鎖でグルグル巻きにして鍵をかけました。
鍵は心臓にしまい、忍者が持っているクナイのような武器も仕込みました。
もし箱が開くようなことがあれば クナイの矛先が心臓を貫き死ぬように仕掛けたのです。
(これは、当時見ていたHUNTER×HUNTERのクラピカの影響を受けて自分に作ってみたと記憶しています。初期の頃の話を読んでいただけですが、HUNTER×HUNTERとても好きです。)
10代後半から20代初めの暗黒時代を経て(これはまた別の記事に書きますね)、
その間に師に出会い、内側を感じることを訓練していくうちに恋を自覚するようになりました。
その箱が開こうものなら死なないといけない。それが真実だと思い込んでしまっている。
開いたら開いたで苦しい。
しかも、箱を作った時と同じで、わたしの恋は ことごとく叶わないものばかりでした。
そんな恋と死への衝動を何度も何度も経験しました。
発作のように生じる「苦しい」。
それを感じ、時にノートに書きなぐり、時に人形を叩いて、そのエネルギーを流してゆきました。
「苦しい」の後に残るものは、前よりも深く広くなった「好き」でした。
叶わないのに繰り返し繰り返し深くなる「好き」。
叶わないなら何故あるのか。
叶わないなら意味がない。価値がない。
その観念。
そこからの派生で、自分自身にも価値がないと思っていました。
そんな わたしを差し置いて「苦しい」は出続け、そのたびに「好き」は深まり続けました。
深まり深まり深まった結果、
何かを超えました。
その「好き」が内側の深い部分のどこかを超え、どこかに届いたように感じたのです。
その時「好き」はパワーなのだと実感しました。
バタフライエフェクト。
この「好き」というエネルギーは、恋が叶う叶わないなど関係なく、パワーであり、それそのものが価値なのだと実感したのです。そして これはきっと、わたしがわからないだけで 何かになっているのだと。
エネルギー的な支えかもしれないし、もっと他の何かかもしれない。
それは わからないけれど、なにかあるのだという確信がありました。
そこで理解したのです。
叶うことを期待することが、恋へ不自由さを強いることだと。
恋は自由。エネルギーは自由なのです。
だから、この氣持ちはこのままでいい。そして、どれだけ深まってもいいのだと。
苦しいとう氣持ちもあっていい。それは ある観念の下では真実であり、間違っていない。
ただ、その苦しいそのものに落ちてしまうと、恋のパワーを信じていないことになってしまう。
だから、その在り方は止めることにしました。
好きだって氣持ちがあるなって見てる自分。
叶わないから苦しい死にたいっていうのもあるよなって、でも そこに落ないよなってなってる状態。それが、愛。
思っていたのとは全然違うけれど、愛とは そういう肯定の立ち位置の自分、統合、理解なのだとわかったのです。
わたしが
愛とは、視点であり、統合であり、理解であると言う所以はここにあります。
世界は自分の反映。
あなたが これを見たということは、あなたの内側にも ここで伝えている愛があります。
あなたの「好き」はパワーです。
ぜひ、愛を生きてください。
(セッションでは、これを読んだだけではわからないという部分に対応してゆきます。)